第1章 4話 東京駅からの脱出2 【時の輪廻】

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 しばらくすると、地震は収まった。二人の間が静まり返る。しかし、被害は深刻な状況になった。構内のどこかで火災が起きたのか、警報機がなり、二人の静寂を遮った。

 

 透哉はしゃがみ込んでいる絵理を見た。仄かに映る絵理の瞳から涙が流れていた。

 

「藁谷さん」

 

 透哉はそっと手を差し伸べた。

 

「一緒にここから出よう」

 

 絵理はコクンと頷くと、涙を手で拭き取り、差し出されている手を握った。

 

 透哉はスマホを操作し、電波状況を確認した。電波は圏外の表示がされている。地震の影響で電波が遮断されてしまったのだろうか。

 

「藁谷さんスマホ持ってる?」

 

「はい。ちょっと待ってください」

 

 そう言うと、絵理は、ショルダーバッグからスマホを取り出した。天井板の下敷きになっていたせいか、スマホの画面が割れているのが見えた。

 

「私のもどうやら圏外のようです」

 

 絵理はスマホをバッグの中に閉まった。

 

「そうか。駄目か。とりあえず、ここから出よう」

 

 透哉はスマホのライトで前方を照らした。絵理は透哉のリュックサックを申し訳なさそうに、右手で握っている。透哉はちょっと歩きづらいなと思いながらも、足元を注意しながら八重洲中央改札口を目指し、中央通路を進んだ。

 

 普段の日常であれば、人の混雑はあるけれど、ものの数分で改札に着く距離が、今は、どのくらい時間が掛かるのか想像すらできない。永遠に続くように感じられる闇の中。時折聞こえる、悲痛な声。絵理はその声が聞こえる度にビクっと身体が反応していた。

 

 生存者は透哉たち以外にもいるようだが、二人にそれを助ける余裕はなかった。おそらくここで手を差し伸べても助からないだろう。そんな人たちを横目にゆっくりと前進していく。どのぐらい時間が過ぎただろうか。まだそんなに時間は経っていないはずだが、暗闇で精神のすり減るこの状況下において、二人の体感時間は普段より格段に速く刻んでいるように感じた。

 

 ライトの代わりとして使用している透哉のスマホのバッテリーの残りが丁度半分になった。

 

 崩れかけの構内では案内の看板もろくに確認することはできなかった。透哉と絵理の前に広がるはずだった中央の広間はそこになかった。二人の目の前を瓦礫が塞いでいた。

 

「くそ! これじゃ通れない。どこかで迂回しないと」

 

「そうですね。……なんか、なんかさ、さっきより暑くなってないですか?」

 

 絵理のか弱い声に不安が入り混じっている。

 

「確かに。さっきの警報器の音と関係あるのかも。もしかしたら、火事が起きているのかもしれない」

 

「早くここから出ないと!」

 

 絵理の顔が強張る。

 

「ああ。早く出よう。ここを右に曲がるしかないか」

 

 透哉は後悔した。いつも何気なく利用している東京駅。だが、構内の事など普段は特に気にはしていなかった。まさかこんなことになるなんて想像もつかなかった。いや、想像できたのかもしれない。もっと冷静になっていれば。今更東京駅のマップを頭に叩き込んでいれば。なんてことはナンセンスな考えだった。

 

「俺たち以外に生存者はいると思う?」

 

 透哉は絵理を見た。

 

「どうだろう。暗くてよく見えないし、声も今は全く聞こえないし……」

 

 透哉は崩れかけて通れない中央通路を諦め、右側の通路へ向けて歩き始めた。通路の半分を過ぎようとしたそのとき、二人の目前数メートル先、いやおそらく相当近いはずだった。物凄い音を立て、地下へ何かが落ちていった。

 

「なに? 何?」

 

 絵理が動揺し、透哉のリュックサックを小刻みに何度も引っ張った。そのせいで、透哉のバランスが少し崩れた。

 

 透哉のスマホとは違う明かりが、二人の目の前に映った。どうやら赤みを帯びているとても暖かいそれは、二人を包み込むように通り過ぎた。透哉と絵理の髪がなびく。

 

「なんだ? 燃えているのか?」

 

 透哉は恐る恐る、その赤い空間に近寄る。スマホを握る手が震えた。

 

「燃えている」

 

 透哉は唾を飲み込む。えりが恐る恐る透哉の背中越しからのぞき込む。

 

「な、なにこれ!?」

 

 絵理の顔が引きつる。透哉は熱風で、いや恐らく、恐怖で身体を一歩二歩と後退させられた。真後ろにいる絵理が瓦礫に躓いてお尻から倒れ込む。透哉も絵理に引っ張られ地面に倒れ込んだ。

 

 二人の眼前には、地下から燃え上がる炎の塵がヒラヒラと舞っていた。透哉は鮮やかに舞うそれをぼーっと見ていた。しかし、絵理の震えた手が透哉を現実に戻した。

 

「大丈夫か?」

 

 透哉は絵理の方を見た。絵理は言葉が出ないのか、二回無言で頷く。透哉も恐怖に負けそうになるが、後ろで震えている絵理の事を考え、気を強く持ち直した。

 

 透哉は目を瞑り、一度深呼吸をした。大きく吸い込む空気は若干生暖かく、気持ち悪かった。すぐ息を吐いた。

 

「立てるか?」

 

「う、うん」

 

 絵理は答えた。透哉は一度絵理の手を放すと、まず自分が立ち上がった。次いで、絵理に手を差し伸べ、その手を絵理が握り、重い腰を上げた。汗とは違う感覚が、お互いの手を刺激した。

 

「どうやら、ここを通らないと行けないみたいだな」

 

「うん。でも、どうやって?」

 

 透哉は考えようとしたが、止めた。方法は一つしかないことは初めからわかっていた。ようするに飛び越えるしかない。ここには、瓦礫以外何もないのだから。

 

「ここを飛び越えよう」

 

「うそ、うそでしょ?」

 

「いや、嘘じゃない。恐らく、ここを飛び越えるしかないよ。たいした距離じゃない。二メートル位だろ」

 

「飛べるかな……」

 

 透哉の手を握る絵理の手に一層の力が入る。透哉の全身にそれが伝わった。

 

「飛べるって」

 

 なんの根拠もなかったが、透哉は言い切った。こういう時は、思い切りも大事だ。恐らく、葵だってこういう状況ならそう言ったはずだ。

 

 透哉は絵理の手をそっと離した。リュックを肩から外し、右手で掴んだ。そのまま、前方へ放り投げる。リュックは綺麗な弧を描き、数メートル先の闇の中へ着地した。

 

「まずは、俺が飛ぶから。藁谷さんは、ここで待ってて」

 

「わかった」

 

 透哉はそう言うと、穴のところまで歩き、距離を測る。助走を取る通路の瓦礫もどかした。スマホのライトを照らしながら走ることは難しいが、何度か進行方向を照らすように手の動きを調整した。

 

「よし。いくぞ……」

 

 絵理には聞こえないくらい小さな声で囁いた。透哉は深呼吸をした。普段ならどうってことない距離。しかし、現状が筋肉を委縮させる。普段の半分も力は出ないかもしれない。大人になってからもこんなに緊張したことは数度あるくらいだった。それでも、乗り越えてきた。透哉は勢いよく走った。踏切ポイントを少しだけ外したが、燃え盛る炎の上を見事に飛び越えてみせた。

 

 透哉は振り返り、絵理へ向けて叫んだ。

 

「次は藁谷さんだ!」

 

 闇の向こうから歩いてくる絵理の顔がどんどん近づいてきた。

 

「わ、わかった」

 

 絵理は、距離を確かめた。透哉はスマホを手に取り、辺りを照らした。

 

 絵理の姿が闇に消える。透哉はちょっと心配だった。

 

「飛ぶから離れてて」

 

 絵理から若干元気のない声が届いた。

 

 タッタッタッタと勢いの良い足音が聞こえると、絵理の身体は空高く舞い上がった。激しく燃える炎の上を小柄な身体が舞った。透哉の心配などいらなかった。絵理は地面に見事に着地した。

 

「飛べた」

 

 絵理が、嬉しそうに言った。恐らく笑っていたのだろうが、透哉からは暗くて絵理の顔を確認することはできなかった。透哉は絵理の方へ向かって歩いた。

 

「行こう」

 

 透哉はそう言うと、絵理に手を差し伸べた。他にも同じように崩落した箇所があるのか、幾分暑さが増してきたようだ。透哉の額から汗が滲む。

 

 八重洲南口へ向かう通路に差し掛かるが、その先へ進む道は瓦礫でふさがれていた。瓦礫の向こうで悲痛な助けを呼ぶ子供の声が聞こえるが、二人にはどうすることもできなかった。透哉は唇を嚙み締めた。少しだけ血の味がした。

 

 透哉と絵理は最初の目的通り、八重洲中央口を目指した。二人の目の前に、無気力にぶら下がる案内板。それを確認すると、出口は近いことがわかった。

 

「揺れている」

 

「え?」

 

「くる!」

 

 透哉がそう叫んだ瞬間、強い地震が二人を襲った。二人は地面に伏せた。

 

「や、やばい」

 

 透哉の声が震える。

 

「崩れる!」

 

 透哉は十年前の東京駅に関する記憶を完全に思い出した。あの日、東京の駅はほぼ全滅した。地下にある路線や、地下鉄の駅は跡形もなく崩れ落ちたはずだ。

 

「崩れるって!?」

 

 大きな揺れがまだ続いている。天井が崩れ落ちる音で、声の音が少しだけかき消される。

 

 透哉はまだ地震で全身が揺れる中、顔を上げた。震える足で何とか立ち、絵理の手を掴んだ。

 

「もうここはだめだ! 早くここから出よう!」

 

 透哉がそう言った矢先だった。絵理の後方の天井が崩れ落ち、それもろとも、地下へ消えていった。絵理が物凄い音がする背後へ目をやったが何も見えなかった。しかし、瓦礫の塵が次第に、赤みを帯びていくのが見えた。やっぱり地下は燃えている。

 

「早く立って!」

 

 絵理は透哉の手を、腕を強く握った。透哉は絵理を持ち上げた。

 

「あっちに薄っすら明かりが見える! あそこまで走って!」

 

 透哉は絵理を半ば強引に引っ張って走った。直後、二人のいた場所の地面が崩れていく。

 

 走るたびに地面が崩れていった。最早改札の意味をなしていないそれを、無賃乗車よろしく二人は駆け抜けた。普段なら駅員さんが追っかけてくるところだが、今は誰も追いかけてこない。その代わりに、道がどんどん消えていく。

 

「あの階段を昇れば外に出られるはず!」

 

 透哉は今までを思い出していた。ここまで、走ったことはあっただろうか。中学の時にバスケ部に所属していた頃は、こんなに一生懸命走っていただろうか。会社に遅刻しそうなときに駅まで走ったのが一番近いだろうか。あの鬼気迫るような圧縮された時間の体験。

 

「もう少し。もう少しだ」

 

 ダッシュで階段を駆け上がる。あと少しという所で、絵理の足がもつれた。

 

「いたっ!」

 

 絵理が転んだ勢いで透哉も階段に手をついた。

 

「っつ……」

 

 透哉の息が漏れる。どうやら転んだ際に、胸を強く打った。その影響で呼吸が一時的に麻痺した。絵理は大丈夫だろうか。意識がもうろうとする中、透哉の視線が床から離れ、移動した。何が起きているのかわからないまま、透哉は意識がなくなっていった。

 

 

 
   

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