第1章 5話 出会い 【時の輪廻】

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「おっ。目が覚めたか」

 

 男の低い声が耳に届いた。目を開けるがぼんやりと滲む視界から空が薄っすらと見えた。どうやら、まだ続いているらしい。胸の痛みで、顔が歪む。

 

「あ、起きた」

 

 絵理の声が聞こえた。どうやら無事だったようだ。透哉はほっと安堵した。

 

 ショートカットの目がくりっとした可愛らしい顔が透哉をのぞき込んでいる。

 

「どうやら大丈夫そうだな」

 

 黒のTシャツにジーンズを穿き、腕にはジャラジャラとブレスレッドを身に着けている。いかつい顔をしたその男は、そう言うと、ペットボトルを透哉の顔の脇に置いた。ラベルには美味しい天然水と書かれている。

 

 透哉は、身体を起こした。ペットボトルを手に取り、一口二口と飲んだ。水が、喉を通り、胃に染み渡る。何て美味しいんだ。透哉はペットボトルを置いた。透哉はゆっくりと立ち上がった。

 

「ありがとうございます」

 

「いや、いいって」

 

 手を頭の後ろにやって、恥ずかしそうに男は言った。

 

「透哉君大丈夫?」

 

「ああ。大丈夫だよ」

 

 絵理は泣きそうな顔をしている。

 

「泣いてるの?」

 

 透哉は絵理の顔を覗き込んだ。

 

「だ、だって心配したんだもん!」

 

 そう言うと、絵理は透哉の顔を平手打ちした。パチンという爽快なクラッシュ音が辺りに響いた。

 

「いってぇ……」

 

 透哉はジンジンと痛む頬を抑えた。絵理はイーっと舌を出して早歩きで離れて行った。明るくなってやっとわかったが、絵理は紺のノースリーブにロングスカートをはいていた。スカートは汚れが目立ち、恐らく白であったであろうその色は少しだけ黒みを帯びていた。

 

「彼女か?」

 

 男が小声で言った。どうやら絵理には聞こえていないようだ。

 

「ち、違いますよ!」

 

「違うんかい!」

 

 男は態勢を崩した。

 

「たまたま、通りかかって助けたんです」

 

「そうだったのか。他には誰かいたか?」

 

「いるにはいましたが……」

 

「ああ。ごめん。やっぱり、今の質問はなし。意味のない事を聞いちまったな」

 

 男は眉間にしわを寄せ、腕組をしている。

 

「まぁなんだ。あの状況で、あの子を助けただけでも偉いと思うぞ」

 

「ありがとうございます。こちらこそ、ありがとうございました」

 

 透哉は頭を下げた。男は手を振って、言葉にはしなかったが、気にするなとでも言わんばかりだった。

 

「僕、神木透哉と言います。あの……」

 

 透哉が言うと、男は言った。

 

「ああ、俺は景だ。鈴村景(すずむらけい)」

 

「鈴村さん」

 

「景でいいぞ。あの子は絵理って言ったか。お前ら高校生か?」

 

「は、はい」

 

 透哉は一瞬言葉に詰まった。実際は28歳。恐らく景も透哉と同じくらいの年齢だろう。

 

「でも、絵理はわかりません。名前しか知らないです」

 

「そりゃそうだわな。さっき聞いたんだが、あいつも高校生って言ってたぞ」

 

「そうなんですね」

 

 同じくらいの歳なのかな。透哉は思った。

 

「それはそうと。ここから離れないとな」

 

 景は辺りを見渡した。それにつられる様に透哉も見渡した。人がぽつりぽつり歩いている。どうやら、透哉達以外にも生存者はいるようだ。

 

 目の前にそびえ立つ高層ビルが無残にも崩れている。ようやっと原型をとどめているビルもあるが、時間の問題のように思えた。

 

「最初はここにも沢山人がいたんだけどな」

 

 景がぼそっと言った。透哉は景が何を言おうとしているのか分かった。

 

「最初の地震で皆、ビルや駅から出てきたんだ。でも、地震が収まると、ほぼ全ての人がビルに避難した」

 

「耐震構造のビルなら大丈夫だろうと。そういうことですか?」

 

「ああ。でも、その時は誰もあんな風になるとは思わないだろ?」

 

 景は崩れたビルを指さした。透哉も視線を追った。

 

「地震大国日本の耐震技術は世界一なんだ。東北大震災の時だって大丈夫だった。だから、避難した」

 

「でも、地盤の弱い場所は崩れた」

 

「おそらくな。俺はそう言うのはわからないが、2回目の地震でビルは倒壊した。それで、ビルの中に避難しなかった俺とか、その辺にいるやつらが生き残ったって事だ」

 

「なるほど」

 

 透哉は相槌を打った。

 

「景さんはこれからどうするんですか?」

 

「俺か……」

 

 景は俯き考えているようだ。

 

「正直な所どうしていいのかわからない」

 

 景は腕を組んで目を瞑っている。

 

「そうですか。僕は彼女を探しに行きます。新宿あたりにいると思うのですが」

 

「あの子はどうするんだ?」

 

 景は絵理を見た。絵理はスマホをいじっている。透哉は頭を悩ませた。このまま放ってはおけないし、景さんに任せるわけにもいかないし。

 

「俺……」

 

 透哉が次の言葉を発する前に絵理が言った。いつの間に近づいてきたのか透哉は不意を突かれた。

 

「私も一緒にいくからね」

 

「ははは。だとよ?」

 

 景が笑った。透哉ははにかんだ。

 

「わかった。わかった。どうなってもしらないからな」

 

 透哉はため息をついた。どんどん葵から遠ざかる気がした。

 

 透哉が景の方を向くと、景が透哉の首から下がっているペンダントをじっとみていた。

 

「お前、そのペンダントどこで?」

 

 景は口に手を当て、何か考えているようだ。

 

「これですか?」

 

 透哉はペンダントを右手で掴む。

 

「彼女にもらったものだから……どこで買ったんだろう……」

 

 透哉は腕を組んで考えている。

 

「すみません」

 

「そうか。俺の彼女も同じのを持っていたからさ」

 

「そうなんですか。景さんも?」

 

 景は両手を上げ、首を振った。

 

「俺も持ってたんだがな、無くしてしまったよ。気づいたら無くなってたんだ。どこで落としたのかもわからない」

 

 ははっと笑っていた。透哉は何とも言えない複雑な気持ちになった。

 

「まぁ、なんだ。また会ったらよろしくな」

 

 景は笑ってそう言うと、二人から離れた。

 

「どこに行くんですか!?」

 

「さあな。俺もお前みたく彼女でも探しに行こうかな」

 

「ははは」

 

 透哉は微笑を浮かべた。

 

 歩いていた景がふと立ち止まった。透哉と絵理の方へ振り向く。

 

「初めて会ったお前らに一つ大事な事言うの忘れてたわ」

 

「何ですか?」

 

 絵理が言った。

 

「なんかな、津波が発生しているみたいだぞ」

 

「津波が。津波が東京まで来るんですか?」

 

 絵理は戸惑った表情をしていた。

 

「まぁ。どうやら、数年前の大震災のより大きいとか」

 

「そ、そんな……」

 

 絵理の顔から生気が抜けていく。

 

 透哉は東京駅からの脱出と気を失っていたせいもあり、首都圏に津波が押し寄せてくることについてすっかり忘れていた。

 

「津波が街を襲う。そうだ。早くここから逃げなきゃ……」

 

 透哉は絵理に聞き取れないくらい小さな声で呟いた。

 

「それじゃな! また生きていたらどこかで会おう。お前らとはまた会いそうな気がするんだわ」

 

 そう言うと、景は再び歩き始めた。

 

「ねえ?」

 

 無表情でボソボソ呟いている透哉を心配してか、絵理は透哉の肩をつついた。はっと我に返った透哉。心配そうに、しかし、その顔には生気がない絵理の姿が見えた。

 

「あ、ああ。ごめん。ちょっと昔を思い出していたんだ」

 

「昔? ふーん。それでこれからどうするの? てか、津波がくるって言ってたでしょ?」

 

 上空をヘリが飛んでいる。報道用のヘリだろうか。ヘリは南に向かっていった。透哉は

ヘリの姿が見えなくなるまで眺め、視線を絵理に戻した。

 

「ここから移動しよう。どうせ、ここにいてもダメだ。それに、俺は彼女を探しに行かなきゃいけないし」

 

「彼女?」

 

 絵理が聞き返す。透哉は歩き出した。

 

「ああ。今日、彼女と新宿で待ち合わせの予定だったんだが……」

 

 絵理も透哉に並んで歩いていく。

 

「新宿? だってここ東京駅ですよ? 歩いて行ったら結構な距離だと思いますけど」

 

 透哉は絵理を見た。

 

「わかってる。でも、恐らく津波が発生したってことは、ここも結局危ないんだ」

 

 透哉は空を見た。ヘリがまた上空を飛んで行った。幾分焦って飛んでいるように見えた。津波は景が言うように既に起きているのかもしれない。透哉は正確な時間までは覚えていなかった。

 

「地震が起きてから、どの位経った?」

 

 透哉は絵理に問いかけた。絵理は時計を確認した。綺麗な金色をしていただろうその時計は、だいぶ誇りまみれで、傷ついていた。中身は無事なようでまだ針は動いていた。

 

「20分。いや、30分くらいだと思う」

 

 絵理は自信なさげに答えた。透哉は口に手を当てる。眉間にしわが寄り、険しい表情をしている。

 

「30分か」

 

 透哉の表情がさらに曇る。

 

「とりあえず、神保町駅の方へ行こう。今から走ればなんとか大丈夫なはずだ」

 

「神保町?」

 

 絵理が聞き返した。

 

「ああ。神保町まで行けば津波は大丈夫だと思う。藁谷さん走れる?」

 

 絵理は頷いた。

 

「私と歳は同じくらいなはずなのに、透哉君は凄いですね」

 

 透哉は頬を掻いた。

 

「……まぁ」

 

 透哉は自分が未来からきている、さらには、もう一度人生をやり直しているとは口が裂けても言えなかった。言える状況じゃなかった。恐らく余計混乱するだろう。とりあえず、ここで生き残ることがまずは第一の優先事項だった。

 

「地震マニアだったりして?」

 

 絵理はふふっと笑った。透哉はまいったなと言って、頭を掻いた。

 

「私走りますから。早く行きましょう。彼女も心配ですし」

 

「ああ。ありがとう」

 

 ほんのさっきまでは人や車で賑やかだったであろう、東京の街は、大地震によって、あっという間に廃墟と化してしまった。

 

 透哉と絵理は押し掛ける津波から逃げるように、神保町駅を目指して走り始めた。

 

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